ホウレンソウ

報告、連絡、相談

 

 

仕事をする上で、初歩中の初歩だが、

いったいどの位の人が出来ているだろうか…

勿論、出来ている人は、世の中にはたくさんいる。

 

だが、報連相をちゃんと使えている人は、

実は、そう多くない。

 

 

そもそも報連相は、基本的に事前に行うモノである。

事前報告、事前連絡、事前相談。

その方が未来に備えられるからである。

結果報告されても、未来に備える事が出来ない。

 

まあ、当たり前だ。

 

 

この「当たり前」という感覚が曲者なのだが、

人は、客観より、主観が「当たり前」の状態に、

世界を判断する材料として設定されている。

難しい本に書いてある様な、大人の知性レベルが『それなりに高い』、

つまり中程度であればあるほど、

自立した出来る人間であればあるほど、そうなってくる。(絶対ではないが)

 

この、当たり前という固定化された概念や観念に縛られていると、どうなるか?

 

 

 

報連相が事後に行われる場合に、不具合が発生する。

 

特に、何か不都合が起きた時。

問題が発生した時にこそ、これが起きる。

 

問題発生時の報連相を、想像して欲しい。

報連相をする側は、どうだろう?

報連相を受ける側は、どうだろう?

 

多分、どちらもいい気はしないだろうが、

特に日本人は、この時の報連相を『いいわけ』と受け取ってしまう。

 

報連相を受ける側の『いいわけをするな!』なんて台詞を良く聞く。

報連相をする側の『いいわけはしません!』なんて台詞もたまに聞く。

 

この状態のジレンマに、人々は昔から悩んでいる。

報連相はするべきか、しないべきか。

 

この「いいわけ」というモノに対する文化から鑑みると、

『事前の報連相は当たり前だが、事後報告は良い物だけ聞きたい』

という事である。

 

 

 

 

当たり前、または、しょうがないと思う方がいたら少し考えてもらいたい。

 

そもそも報連相は何の為に行うのか、

良い報告を言って、聞いて、自分達の優秀さに酔う為だろうか?

 

その感覚を否定はしないが、それだけではない。

 

報連相は円滑なコミュニケーションと、それによる問題の解決の為にある』

 

つまり、「いいわけ」を許さない文化とは、

報連相を半分も使いこなせない文化であり、

これを使いこなせている人は、実際かなり少ない。

 

文化が「当たり前」や「美徳」として不都合な現実に蓋をしてしまうからである。

 

 

では、どうすればいいか?

失敗の報告を受けたら、あなたはどうする?

失敗の報告をしなければいけなくなったら、あなたはどうする?

 

この問題の解決に必要な物は、たったひとつ『勇気』である。

 

 

正しい事をする、正直であり、客観的である『勇気』が必要とされる。

 

相手に『いいわけするな!』と頭ごなしに言われても、

正直に起きた事を、客観的に報告する。

そして、他人のせいにしない事。

 

ここで大事なのが、自分のせい「だけ」にもしてはいけない点だ。

自己犠牲の美徳が求められるのは、その時ではない。

 

 

また、受ける側にも勇気が必要だ。

事後の「いいわけ」ではなく、目の前にある問題に対しての事前相談と受ける様な面持ちでいるぐらいが良い。

 

そして、やはり相手の報連相を聞いた時、相手のせい「だけ」には決してしてはいけない。

自分を含めた周囲の責任も、客観的に認識し、受け止めなければいけない。

 

そして、両者が責任を全うし、また自分の問題解決に集中出来れば

同じ問題は二度と起きることはない。

 

ここまで出来て、報連相がようやく機能し始める。

 

そう、報連相も実は奥が深いのである。

初歩中の初歩だが、相手が存在する分ツールとしては、実は扱いが難しい。

送受信双方にツールとしての報連相への理解が必要なのだ。

 

あなたは使いこなせるか?

というのは正確ではない。

 

あなたを含めた、コミュニティ内で使いこなせているか

考えてみて欲しい。

攻略本

今週のお題特別編「子供の頃に欲しかったもの」
〈春のブログキャンペーン 第3週〉

 

 

子供の頃から自分はゲームが好きだった。

初めて買ったテレビゲームは、ファミコンマリオブラザーズ

 

義務教育就学時、祖母からスーパーマリオワールドをプレゼントされた。

勿論ソフトだけである。

スーパーファミコンを持っていなかったので、買ってもらうまでは説明書を熟読していたのだが、スーパーファミコン本体を買ってもらう前に、なぜかスーパーマリオワールドの攻略本を買ってもらった。

その時から、自分は攻略本に魅せられていた。

 

タイトルゲーム中の全てが一冊の本に書かれている。

攻略法、裏ワザ、敵やボスの一覧。

なんて凄い物が世の中に存在しているのか、ひどく感心した。

 

 

それから、順調にゲーマー人生を歩み、家には攻略本がソフトの数以上に増えて行った。

持っていないゲームの攻略本まで、気が付けば買って、読んでからソフトを買うみたいな事までしていたからだ。

 

成人して社会に出ても、ゲームを卒業するなんて事は無かった。

攻略本以外に攻略WIKIや掲示板を見るようになった程度で、攻略方法を載せた読み物に対する興味は失われることは無かった。

 

 

そんなある日、こんな事を言われた。

 

「本とは、本の中のテーマに対する説明書であり、現実世界の攻略本だよ」

 

こんな感じの一文である。

なるほどと思った。

ハッとした。

何かが繋がる感覚に襲われた。

 

現実世界の攻略本。

現実が攻略対象という考え方が、それまで、まるでなかった。

 

考えてみれば、

子供の頃から、自分は現実世界の攻略本が欲しいとは思っていたが、

現実とゲームは別物と諦めていた。

そんな諦めがあったせいか、不完全な人生の中で、せめてゲームは完全に、完璧にクリアしたいと望んでいた。

 

だが、それは子供の思い込みで、間違いだった。

 

現実世界を攻略する為の本は、無数にあり、自分で選ばなければいけないだけで、

ずっと本屋や図書館に並んでいたのだ。

 

気付いてから、本の読み方が変わった。

フィクションとして読む本が、極端な話、一冊も無くなった。

必ず現実世界の何かを説明し、攻略法を提示してくれている。

 

そして、本の中にある事は、実践しなければ意味が無い。

攻略本は、ゲームを攻略してこそ意味がある。

データベース自身には意味が無い。

利用して、初めて意味があるからだ。

 

 

子供の頃に欲しかったもの。

現実世界の攻略本。

 

「本とは、本の中のテーマに対する説明書であり、現実世界の攻略本だよ」

の一言で手に入ってしまった。

 

もっと早く、この言葉に出会っていれば

気付いていれば、

 

現実の攻略本を読みながら、今も時々そんな風に思う時がある。